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一期一会
 昨年度設立30周年を迎え
全日本剣道連盟から表彰されたばかりの
綾上剣心会代表 大野豊春氏が亡くなられました。享年67。
心臓に持病を抱えられたことから、自身の剣道は控え、
子どもの剣道指導に献身。
多くの門弟を育てました。

家の子(小6)も年長から見てくださり、今は道場の大将です。
かくいう私も、ことの始まりは
この道場からでした。

表面的な「勝ち」にとらわれることなく
普段の生活態度、礼儀、学校での友達関係等、指導は広範囲にわたっていました。

まだまだお若く、子どもの指導はもとより
地区の剣道連盟の役員として、これからお力を
発揮できるはずでしたのに、突然の病で、残念な限りです。

これから先何年のことは考えてもどうなるか分からないように感じます。

一雨潤千山(いちうせんざんをうるおす)
いちどの雨が千のやまを潤すように、一度の出来事が
すべてを変えることがある。

剣道の稽古も一期一会。
今日の稽古も自分を出し切り、打ち切る剣道、そして
何処までもお相手に感謝できるよう心がけて参ります。

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学生に剣風は無い!!........とは厳しい。
 
同じ職場の同僚のY八段が当方の研究室に来られました。
退院後、稽古の開始が少し早かったことなどを
御心配いただきました。

Y八段はつい最近まで、剣道の雑誌で子どもたちのための特集記事を書いておられましたので
心当たりがある方もおられるかもしれません
八段でも警察出身でなく、教育畑の方なので貴重な人材です。

いつも仕事では一緒ですので、気軽にお話もするのですが
こん回、何気ない話しの流れの中で、鳥肌が立つお話がありましたので
書こうと思いました。

やはり当方も教育が専門ですので、どうしても、武道の必修化や、子ども達の指導法などに
話しが及びます。
その中での、当方の気軽な発言に対するY八段の発言の中に剣道の厳しさをかいま見ました。

ここ最近当大学の女子が全校大会で活躍。それはそれで喜ばしい事です。
一通り、彼女らのがんばりなどのお話を楽しげに話されました。
当方が、どこの高校から何人、ここの高校から何人とかの、話しを聞き
公立の普通高校や進学校からの新入部員が多いなどのお話を聞いた後の事です。

当方が、入部してくる学生の高校の幅広い事に驚き
大学から始める学生ももちろんいるが
幼少期から大学まで10年以上続けてきているものが多い
継続してずっと剣道を続けてくれば、それぞれ
剣風があるんでしょうかと気軽に聞いた時の事です。

そこでY八段、即座に
学生(高校生、大学生)に剣風などありません
そう、さらっといわれました。
ぞっとしました。

彼らが連日どれほどの厳しい稽古をしているか私は知っています。
またこれまでどれほど厳しい稽古を積んで来たかも用意に想像出来ます。

それでもなんらかの剣風を形成するには至らないというのです。
これは厳しい..............。

冷静になって考えればそれはそうです。
昭和の剣聖持田盛二氏が残した言葉です。

私は剣道の基礎を体で覚えるのに五十年かかった。
私の剣道は五十を過ぎてから本当の修行に入った。
心で剣道しようとしたからである。
六十歳になると足腰が弱くなる。
この弱さを補うのは心である。心を働かして弱点を強くするように努めた。
七十歳になると身体全体が弱くなる。
こんどは心を動かさない修行をした。心が動かなくなれば、相手の心がこちらの鏡に映ってくる。心を静かに動かされないよう努めた。
八十歳になると心は動かなくなった。
だが時々雑念が入る。心の中に雑念を入れないように修行している。
剣道の目的については
「剣道の目的とは剣の理法の修練による人間形成の道である」
剣道とはなにか
剣道とは
「武士が日本刀を使った戦いを通じ、剣の理法を自得するために歩む道であり
剣の理法の奥にある武士の精神を学ぶこと」
武士の精神の学びとは、まさに武士の日常を学ぶ事です
ということは
剣道修行とは、道場での稽古だけが修行ではなく
私たちの日常生活に及ぶことは言うまでもありません。
つまり「剣道修行とは私たちの日常生活どうあるか」という事だと思います。
つらつらと思います
学生は社会的には自立していません
多くの学生は親のすねかじりです。
そうでなくても
国民から相当額の補助金を受けています。
私は、ほとんどの仕事の時間をこの学生達と過ごしますが
年齢は20を越えていても、どう考えても大人ではないし
一人前の社会人とは到底言えないわけです
Y八段がおっしゃる意味とは
上記した事を総合した中から導きだされる
自然な結果と感じました。
一人前の社会人でありながら
社会の中で様々な重圧に耐え、自分を生かし、人を生かし
子どもを育て、自らも育ち、栄え、そして朽ちていく中に
剣道修行の本質があるように思えます。

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「S先生怒る」
 倉石です。
まず、最初に
東北関東大震災で被害に遭われた方々に、改めてお見舞い申し上げます。
現在も収束したとは言いがたく、原発関係の影響がさらに広がる様相をみせております。
一刻も早い事態の収拾と復興をお祈り申し上げます。

さて
話しは変わりますが
先日来の予告記事です。
題して
S先生怒るその1 
S先生はあまり怒りませんでした。授業、講演ではよく話されましたが、通常は口数は少なく、
感情は表に出されない先生でした。
よって、私もあまり怒られたことはありませんが、何度かは怒られたことがありました。
その事が、後の倉石の制作や教授法に大きな影響を与えた事は間違いなく
系列の話しをするのなら、それは理解しておかないといけないかもしれません。

 忘れもしない、倉石が大学4年の夏です。同級生は教採で忙しく、美術棟には「人け」がありません。朝8時に登校、2時間ピアノ棟でピアノを弾いて、10時から一人ろくろを一日中引く毎日でした。
 当時は益子、笠間に行き、安い材料を買い込んだり、工房を見学して、職人さんの技法を盗んでおりました。もう陶芸でやっていく事を決めていましたので、数引き、大量生産技法を身につけようと考えておりました。
 で、そのときは湯のみの削りをしておりました。そして、どこの工房でもみる、器をぽんぽんとたたいて真ん中に据えることも、当時は3回程度たたけば芯を出せるようになっていました。そこにS先生が音もなくやってきていました。
 「そんなことはやめたほうがいい」
いきなりそう言われました。 かなり驚きました。
 「そういうことでは良い作品は作れない。良い作品を作る工夫をしないとだめだ。」
そういわれて去っていかれました。
 手は完全に止まりました。考えました。
もちろんすぐには結論は出ませんので、しばらく悩みました。が
結論は意外に早く出ました。
 良い作品作りの技術や思考と量産のそれとは全く原理が違うものです。
それをごっちゃにするな、という事だろうと思いました。
当時は、たしかに、ぽんぽんできる器を見ながら、少しはうまくなったと考えていました。
頭の中でその辺りがごっちゃになっていた事は否めないところでした。
しかし、それは良い作品が出来たのではなく、量産技術が多少向上しただけなのだということでした。
 若者が大志を持つ事を望まれていた先生には、まず、よい作品を作る努力、コンセプト等を作る努力を望まれておられました。
 陶芸といっても美術の中の一部、良い作品とは陶芸だけの狭い世界で理解されるのでなく
他分野の中でも通用する陶芸作品を作る。そういう思考が形成されたのはこの頃です。
 言うのは簡単、するのはたいへんなことでしたが.......。
若いころは、どちらを優先するかですが、良い作品を作る事を優先する事を、S先生同様おすすめします。量産はそれからお考えください。
 さて
 倉石は学生さんには、削りで、ぽんぽんたたいて芯を出す方法を一切教えませんが、上のお話からご理解いただけたと思いますが、そういうことです。まあ、倉石的トラウマですね
 ただし、人前ではやりませんが、一人で量産するときは、陰でやっております。
やっぱり早いので。
 作品作り、量産作りの考えをしっかり分け、取り組む事が必要でしょう。
それは、成形だけでなく、デザイン、絵付け、などの分野に及ぶ事もお忘れなく。

第一話終了

S先生怒るその2 (嘆バージョン)
 倉石です。
S先生怒るその2 (嘆バージョン)です。
S先生の陶芸に対する姿勢がよくわかるエピソードです。

4年になれば、窯も学生の判断で自由に使えました。
いろんなものを焼いていました。オブジェ、器類......
その日はたまたま窯出しをしておりまして
私と数名の同級生が、それをネタになんだかんだと盛り上がっておりました。
そこへ、S先生が通りかかり、覗いて行かれました。
あーでもない、こーでもないと同級生が話しています。
その話しの中で、テーブルの上のものを「品物(しなもの)」とか、
なんとか言っている言葉に
S先生が反応されました。
私が作った少し大きめの「とっくり」を手に取って一言
「なかなか良いじゃないですか...」
「これは品物ですか.....」
「ふ〜ん、絶望的ですね」とおっしゃいました。
私が言ったのではないですが
凍りましたね.....。

今から思い出しても、S先生が、焼き物を「品物(しなもの)」と言ったのを聞いたことがありません
どんなものでも、ほとんどの場合「作品(さくひん)」時として稀に器類は
「器物(きぶつ)」とよんでおられました。
 
 陶磁器も他の分野の作品と同等である。
 どのような「器物」であっても人の手によって生まれるものは、それはある意味
 その人を表わしているののだから、
 その扱いを徹底すべきだろうというお考えから発しているのだろうと考えました。
 
 まだ、当時は焼き物の地位は現代美術の中では非常に低いもので、
 現代美術の中に懸命に入りこもうとする我々若手に面と向かって
「焼き物屋は壷茶碗でも焼いていればいいんだよ」
 そういう、彫刻家や画家、評論家が多かったのです。
 国際現代美術展等、現代美術のなかにいち早く参加されていたS先生は
 陶芸の地位向上の為、一般参加で参加され、現代美術展のなかで一目置かれる作家と
 なっておられました。
 その苦労は明治期の板谷先生、富本先生のご苦労に重なります。

 オブジェと呼ばれるものも
 器とよばれるものも
 壷も皿も、すべてその人の化身
 作り手自身がまず、そういう意識を徹底しなくてはいけない
 そうでなければ、焼き物の世界が絵画、彫刻等の分野と同等の作品をつくること
 そういう地平を作る事は難しいと思います。

 人からの願いであっても
 自分をちゃんと作れているのか.......
 オブジェは作品だけど、器は品物......別々のとか.....

 あのときのS先生の嘆きは、いつも共にあります。
「絶望的ですね..」
 皆さんは、どうですか。


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師に対する忠義
倉石はこことは別に剣道ブログをしていますが
なぜかこちらの方がアクセス数が多いです。
そこでこちらに記事を引っ張ってきました。

「師に対する忠義」に関して記載します。
剣道では「守破離」という言葉から、師に対する姿勢を連想できます。
しかしこれは剣道用語だけではありません。
「道」のつく世界では、ほとんどすべて、この世界観を共用しています。
能の世界で「世阿弥」が提唱。
「千利休」が広め、広く知られるようになったとされています。

規矩作法  守り尽くして
破るとも  離るるとても
本ぞ忘るな

利休の言葉です。
今更、釈迦に説法のように思いますが
 
守 基本を会得する。
破 基礎を応用する。
離 独自の世界を形成する。

ここから、単純に連想するところ、ひたすら師の教えを守り、稽古精進する
ということになるのでしょう。

剣道の目的は一つであります。初心者も高段者も、子どもも大人も
稽古の方法は様々あっても同じ目的に集い修練できます。
その目は剣道の世界だけでとどまるのでなく
人類の繁栄、世界平和に向けられていること
剣道精神を社会で生かす事を求めています。
そこがすばらしいのです。

全日本剣道連盟の剣道に関する記載からこのような文面が見えます。
剣の理法の奥にある、武士の精神を学ぶ事が重要であると記載しています。

新渡戸稲造の武士道では
以下のような記載があります。
「武士道は主君の為に生き、そして死なねばならない。しかし、主君の気まぐれや、突発的な思いつき等の犠牲になることについては武士道は厳しい評価を下した。 (中略)
奴隷のように追従するばかりで、主君に従うだけのものは「寵臣」と評された。家臣がとるべき態度とは、主君が進むべき正しい道を説き聞かせることにある。
としてあります。

次に、武士道の精神とは東洋哲学の粋であるということです。
哲学には2つの潮流があります。
一つはギリシャ思想、キリスト教思想を源流とする、西洋思想
もう一つが、東洋哲学、東洋思想ということですが
東洋思想の良さは見直されてきていますが、現在の主流は西洋思想です。
この二つの思想に関する比較は後日いたしますので、今回は項はこれ以上割きません

東洋思想、東洋哲学の特徴は、人と自然をあえて分けず、人も自然の一部として
扱うところにあります。
しかし、ある一定の結論を導きだす際の根拠が、その人の
人生経験や、信念に基づく事も多く
分析的な追求に耐えない面がある事は否めないところです。
武士道形成の背景には、そのようなこともあるという事を知っておく事も大切です。

その辺りを勘案すると、本当の剣道修行とは、私たちが単純に考えているものとは
少し違うように思います。

何が言いたいのかということですが
少々時間がございます。
これを読んだ皆さんでお考えください。

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またやってしまいました
 
またやってしまいました
先日の子どもとの稽古中に左足ふくらはぎ筋肉の部分断裂です。

全治1ヶ月、リハビリ1ヶ月で
稽古までは3ヶ月の診断です。

年甲斐もなく試合に出ようと特訓
いつもなら下がることは極力しない心構えでしたのに

ここしばらくは下がって誘い
出頭を打つ稽古もしていました。

そんな稽古をはじめて1週間ほどで少し足を痛めていたのですが
なれない稽古だからと、たかをくくり、がんがん稽古をしておりました。

大人との稽古は気も張っているせいでしょうか問題は無かったようですが
子どもとの稽古
しかも基本打の稽古
面体当たり引き面の稽古で、子どものあたりを受けたときに
ぷつん、と嫌な音とともに
全く動けなくなってしまいました。

春から最近まで猫の手も借りたい忙しさでしたが
いろいろ片付き
一息ついたところでした。
う〜ん残念

体は動かなくてもできることはあると思いますので
そちらでがんばります。
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ものづくり芸術祭で
 アートトレッキング期間1ヶ月

あいつは自然のエキスを吸い込み

モノハウスにやってきました。

田万ダム下の公園の大気をまとって

枯れ葉をふり巻きながら

何をする
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見てもらいたい景色
アートトレッキング会場です

雨が降り
風がふき
気温が下がり
木の葉が落ちて
作品が少しずつ自然と同化していきます。
会期は3週間
作家さんはその辺りを当然予期しています。

野外での展示は
その辺も腕の見せ所です。
自然とともに成長する作品

ご期待下さい。




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アートトレッキング開始
愛車カブ号で会場をパトロール
季節も良くなって、バイク日和だ。

それにしても
平日にも関わらず、沢山の来場者で驚きを隠せない。

四国新聞のネット版で現在アクセスランキングがトップになっている。
奇跡だ。
私はこれまで、武道、車、等々のホームページを立ち上げたりブログも様々書いたが、
こんなことはついぞ無かった。
この展覧会に関わった人の多さや、多様さ、思いの深さがあるのだろうと思う。

そして
会場を回ってつくづく思う。
作品は、その人そのものなのだ。と

展覧会が終わったら、地元の人達も交えて
懇親会をしよう。

久々にいい仕事ができそうな入り口にいる予感がする。
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現代美術オーディオ考
 建築、オーディオ担当、1級建築士Y氏が、小型のアルティックを持ち込んだ
(たぶん409Bで製造年月日は70年代前半?)
ユニットは20センチのフルレンジ1発もので、30年前?40年前?製造の
アンティークの域に属するもの
レンジは狭く、解像度も低く、箱も丈夫ではないが、
良い音とはそういった尺度では測れない。

モノハウスのオーディオ装置は日々進化を続けている。
NAKAMITHI CDPLAYER 4は引退(またどこかで働いてね)
タンノイはデンオンDENON DP1000、AUDIOTECHNICA  AT 15EA
マランツ、TAKASE,という組み合わせとなり
まず聞きやすい音になった。(少し万能すぎないか?)

今回Y氏のユニットは、MARANTZ  CDR631とCROWN D75の
押しの強いユニットと組み合わされた。(とりあえずCDで)

オールディーズを聴く
う〜んシブい、シブすぎる....
特に声が.....軽いコーンと、乾いた歌声が一瞬、生々しく共鳴する。
最新のものでは表せない何かを引き出していると思います。

こういうのが
趣味が良いというのではないでしょうか
広大なレンジ、奇跡的な分解性能、最新のものばかりが
人の耳に良い音として受け入れられるのではありません。

Y氏と倉石所蔵の松の単板の加工について協議する
ここしばらく自作の箱を制作していませんでしたが
久しぶりに意欲がわいてきました。







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剣道記事を一時中断、モノハウス、ZIKKEN展、喫茶、オ-ディオで少々
今日はモノハウスのオーディオシステムについてです。
オーディオ好きの会員3名が機材を提供して作り上げたものです。
2階喫茶で、その辺では聞けない音を聞かせてくれています。
以下ご覧ください。
■プレーヤー
DENON DP1000 
DENON DP40F
■カートリッジ
AUDIOTECHNICA  AT 15EA
SHURE M44G
SHURE M91ED
■チューナー
ONKYO INTEGRA T-406
■CDプレーヤー
MARANTZ  CDR631
NAKAMITHI CDPLAYER 4
■アンプ
CROWN D75
TAKASE (真空管)
LUXMAN L-505F
■スピーカー
ビクター SX3-2
YAMAHA  NS1000M
ダイヤトーンP610(箱はフロントロード既成箱の改造)
TANNOY(ユニットたぶんHPD385、K3808、うちどちらか1本は低音のみ使用、箱はTEAC特注箱)

■特徴
1.システムは無駄を極力省き(セレクタ不使用、プリ不使用)
ある仮説的指向によって3系統に固定されております。
例えば、夜の音とか、女性ボーカル専用とかです。
ハードドーム対ソフトドームとか、変なこだわりがあります。
結果一般的でない音であったりします
2.機材がオタクっぽいです
一般的でない機材が見え隠れします。
TANNOYの箱は特注箱です。多分誰も見たことはないタイプのものです。
ユニットもマルチ標準となっておりまして、普通に鳴らすのも、ややこしい。
全貌を明らかにしようと一時これを解体しようという試みが画策されましたが、
TEACの工作の見事さで箱に弱点が見つからず断念。
駆動でもマルチのアンプに適当なものが見つからず、
方テャンネル2本のユニットの1本を鳴らしながら、このユニットの未来を考えています。
 D75はスタジオモニターのプロ用の機材です。
嘘のようなアンプです。低域ダンピングアクター400という
圧倒的な数値をたたき出しています。これでは民生用は太刀打ちできません。
アンプも見かけによらないということでしょうか、それから
プリをつなぐととたんに機嫌が悪くなる協調性のない奴でして
同じCROWNの同じ時代のプリで「やっとこさ」らしく、このB型野郎!です。
 TAKASEの真空管です。人間関係が良い音を育てます。
TAKASEとは福島県の高瀬さん。真空管アンプの修理、改造をされている方です。
もともとは中国製の意味不明のアンプでしたが、TASASEさんのマジックパワーで
一級品のアンプに生まれ変わりました。管が6V6ですし、部品が新品ですから
ぴかぴかつやつやの音を奏でます。
■他の機材は?
ご覧の通り伝説の機材もありますが、有名な機材ばかりで説明不要です。
■これから
PHONOイコライザーが必要です。
NAKAMICHIのCDがあまりにひ弱です。PHONOイコライザーが来れば引退です。
カートリッジも増やしたいです。
ピカリング、オルトフォンなどを計画します。
誰に聞いてもTANNOYはこれで良いのではないかという意見ですが、一度は
マルチにしたいと考えます。
D75は優秀なアンプですがTANNOYとの相性は好きずきでしょう。
やはりTAKASEとの相性がよいのではないでしょうか
D75にはJBLなどが良いのかもしれません
会員の方でだれかJBLの中型程度を持っていませんか?
安易か?

しかし、D-75とタンノイの組み合わせを実現しているシステムは注目の的です。
D-75は低域から中域にかけて力強くしまった音を表現します。
これは特筆すべきもので、いろんなところで話題となっている通りです。
上記ラックスのアンプで線が細く貧弱で、山水9700アルファでよぼよぼだった低音が
シャキーン、ガッツーンと来ました。剣道なら出頭の面1本です。
これはアンプの手柄と言えます。
しかし、素直なアンプだけに高音域では
タンノイの独特の癖を、よくも悪くも引き出しているのではないでしょうか
ただ現時点で、当方も聞き込みが足りないとも感じます。
私感ですが、D-75とタンノイの組み合わせで
あらゆるジャンンルを聞き込んでいくなかで、身の毛がよだつ
ジャストフィットの何かに出会えるかも知れません

この記事に興味がある方は
モノハウスで検索し、ZIKKEN展の喫茶をご覧ください。
画像が見れます。




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