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剣道を子供達はどこまで理解するのか?
 子供達はどこまで理解しているのだろうか?

 

当方の道場の子供達には

剣道の目的は、大人の剣道、子供の剣道など区別なく、剣道は一つと教えます。

子供も大人も、同じ目標のもと、互いにがんばります。

お相手から逃げず、自分十分の形を作り、打ち出す機会を作って、思い切って自分の技が出たかどうかを一つの基準にしています。

 

試合場での品格。これも大事

思いやりのある態度、勝っても負けても、すぐに反省する態度

これを養います。

よい勝ち 悪い勝ち

よい負け 悪い負け

これを徹底して指導します。

試合で勝っても内容が悪ければかなり厳しくしかります。

逆に試合で負けても、よいところがあれば、積極的に評価し褒めます。

保護者の方々にも協力を求めます。

(指導者がほめても保護者がしかるときがあるので…)

 

子供がなにをどこまで理解するのか?

それも問題ですが、実はそれは本質的な問題ではありません

こちらの努力に結果が結びついてこなくても

 

指導者がぶれては行けないのです。そのぶれが

それが子供達の迷いを誘います。保護者の不安を招くのです。

 

私たち子供を指導する者には、さらに厳しい心がけが必要です。

子供達の稽古量を凌駕することは当然。

普段からの素行も子供達の規範とならなくてはなりません。

子供達は言葉の理解は不十分でも、目から見た感覚的な理解、成長は大人の比ではないのです。

剣道
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物事に動じない不動の精神力とは
 

物事に動じない不動の精神力とは

突然ですが昨日の合同稽古のことです。
 例の木刀による基本稽古が中心の講習会です。当方所属の地区では10月からの昇級審査から実施するという方針のもと、子供、大人合同の講習会がありました。私はと申しますと、3ヶ月前に大人の道場でDVDを渡され、1ヶ月を目処に子供に教えられるレベルにしておくように、というお達しが出ておりましたので、手順程度はなんとかなったのですが、地域の子供たちにとっては大変です。子供の道場でも基本稽古の代わりに、木刀による基本稽古をやってはどうかという意見が出され、その方針でしばらくやるようです。いろいろご意見があるのは仕方がないのですが、9本目の「胴撃ち落とし面」はこれまで正式な「胴の防御法」がなかっただけに、一つの指標になるものと考えています。

 お年の先生の中には、お前に任せた、「よきにはからえ」的な発言もあり、困っております。防具をつけてまだ3年の「ど素人」に「それはないですよ先生!」
という感じですが、最初から覚える気のほとんどない先生方もいらっしゃいまして….う〜ん。
ああ、また仕事が一つ増える………。
 
 話はかわってその後の防具をつけての合同稽古です。
ざっと見渡しますと、いろいろおられます。一度お稽古お願いしてみたかったS8段先生のところに行こうとしますと、先生お稽古お願いします。と
30代の現役選手。あちゃ〜です。そこで
「あの〜当方は素人でして…..うんぬん….かんぬん…..」と自己紹介….
出稽古、合同稽古では恒例なのですが、いつもの通り元立ちをお断りするとから始まります。
 当方とっくに50歳を超えておりますので見かけだけ高段者ににて、全く誤解を招きやすい立場で、すいませんなのですが、とりあえず始まりました。
 お相手さっと上段に構えました。
「おっ!」きた!上段!
……….あっ!小手サポーターを忘れています。
「しまった!」
                 つづく

剣道
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付則2  武士道に思う
 付則2

 武士道の精神は、私達の生活の中に予想以上に浸透していることを認識することも必要かもしれません。武士道は、仏教、神道、儒教などの思想を思想的背景として形作られました。それは、日本人の長所をほめるものではなく、日本人の弱い部分を対象にしたものです。その破綻を防ぐため、あるいはその弱い部分を逆手にとり、一つの作法として、世界的にも稀な作法として美しく体系化、思想化したものです。内面的には実質破綻しても外面を作法で繕うことにより、最後の一線を超えることを防ぎその影響を個人の中にとどめる効果を持っています。また、それらの所作が当所中身をともなっていなくても、それらを繰り返すうちに、徐々に中身も形成される効果もあります。

 私達日本人には、この礼儀作法のあり方は、とても共感しやすいものです。

武士道とは、その響きの「いかつい」響きから、現在の私達の生活とかけ離れたもののように思われておられる方が多いと思いますが、実際はその思想の流れに支えられて、日本人らしく生活していると思います。あるいは、どこかで求めているという言い方が適当かもしれません

 私達の生活は欧米化してきましたが、その精神の神髄に、共感は及ぶのは難しいと思います。それは、欧米人と東洋人の自然観が異なるからです。この点に関してはいずれ紙面を割きますが、お互い異なった文化を持つ民族として尊重し合うことは十分出来ると思いますが、日本人は完全に欧米化は出来ないと思います。

 ここまで申し上げたら、これ以上は申し上げることは無いと思います。

 学校教育で武道が導入されます。先生方どうかご協力お願いいたします。

剣道
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剣道のこと 付則
 ここからは付則となります。

 これまでの作業の中で、感じたことをつれづれなるままに書き下ろしたいと思います。

 高段者の方で子供とのお稽古を好まれない方がいらっしゃいます。たいへん悲しいことと考えます。剣道の質の差、体格差など、理由は様々ですが、これは間違いと言えるでしょう。

 私達は心と心で向き合うところから稽古をすると考えます。すべての人の心の中に、仏の心が宿っているという道元禅師のおっしゃる通り、すべての人と、心と心を感じ合う稽古を目指すのであって、むしろ純粋無垢な心を持った子供との稽古は、学ぶものは多いのではないかと考えます。また、子供たちを正しい道に導くのは、先立ちである大人であって、剣道においてはまさしく高段者の方々ではないのでしょうか。もし子供との稽古を重視したことで腕が落ちたという方がいらっしゃるなら、剣道に対する考え方、稽古の仕方が間違っていたと考えるべきだと考えます。

 また剣道の質の違いを言われる方々もいらっしゃいますが、大人も子供も本質的には同じものを学ぶべきと考えます。子供と大人、段の若い者と高段者が違った剣道を学ぶことは、人により場所により剣道に対する解釈の「ずれ」を招くと考えます。

                           つづく

剣道
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剣道の目的、剣道とはなにか まとめ
 まとめをいたします。

 約半年をかけて、剣道の目的、現代社会における剣道のあり方を考えて参りました。それは、とりもなおさず、武士とは何かを考察するところから始まりました。武士成立の時代背景、社会背景を分析することから始まり、とりわけ中国との関係を中心にして紐解き、武士の成り立ち、武士とは何かを解明し、武士の時代における理想の武士像を明確化しました。その点に関しては過去の記事をご覧ください。

 そして、いよいよ現代に生きる私たちが、理想の武士から、理想の武士の生活から、何を学び、どう生かしていけばよいのかまとめたいと思います。これまでの考察を基にして、箇条書きにまとめたいと思います。

1. 剣道は人類の繁栄、社会平和を実現するため、何をすべきかが目的となるものであり、短絡的な自己の欲求を満たすために行うものではない。よって、試合に勝つことや昇級昇段することが剣道をする上で独立した目的とはなり得ない。

2. 剣道の修行に終わりはない。ある一定の修行レベルに達したとしても修行は終わるのではなく、無限の修行を続けなくてはならない。

3. 生活すべてが修行となる。ただひたすら心を正しくおだやかに持ち、正直一途に暮らし、上なる人を敬い下なる者を燐み、つつみかくしなく、有るを有るとし、無きを無いとして、ありのままの心持ちで生活することが天意にも仏意にもかなうものである。ひたすら文武の修行に励み、質素倹約につとめなくてはならない。

4. 上下の関係とは盲目的なものではない。上のものがあやまちを犯すときには覚悟を持ってそれをいさめなくてはいけない。

 以上です。

 現実の自分がどうであれ、これらを目的として生きること、剣道をすることは悪いことではないでしょう。あきらめてしまってはそこでおしまいです。とりあえず私はがんばります。みなさんがんばりませんか。なお次回はこれまでの研究から付則的なことを述べてみたいと思います。

                     つづく

剣道
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剣道の目的とは、武士道とは、今一度考えてみて下さい。
  剣道の目的とは、武士道とは 今一度考えて下さい。 

全日本剣道連盟は剣道の理念を

「剣道とは、剣の理法の修練による人間形成の道である」

ホームページでは、剣道は、剣道を通して心身を鍛錬し人間形成を目指す武道です。剣道を学ぶということは剣の理法を学ぶことであり、剣の理法の奥にある武士の精神を学ぶことが重要です。としています。

 全日本剣道連盟は、剣道の普及について、次のように言っています。

剣道の普及とは単に剣道人口を増加させたり、試合を多く開催することではありません。正しい普及とは日常の稽古や試合という競技の剣道を通じて、武士の精神を多くの人々に伝えることです。そして、剣道の厳しい稽古を通して、剣の技を学ぶだけでなく、武士の生活態度やそれを裏付ける武士の精神(心構え)も学んで頂きたいと記しています。

 考えて下さい。

 私達剣道指導に関係する者が心がけなくてはいけないことが明記されています。

人には個性があり、結果剣道のスタイルも様々だと考えますが、上記した内容は、剣道に対する考え方の基礎、基本というものであって、よけいな付則、解釈の入る余地はないと考えます。

 私たちは稽古をするにあたり、また日常の生活の中で、どの程度このことを意識できているのでしょうか?

 初心者が上記の件について、良くわからない。ピンと来ない、そんなこといっても試合に勝ったら嬉しいし、負けたら悔しさだけが残るし、剣道の稽古が終わったら全部忘れて遊びたい。というのも理解できます。また理解してあげなくてはいけないし、じっくりと指導、育成していくことが大切です。

 しかし指導者はどうでしょう

 剣の技を学ぶだけでなく、武士の生活態度やそれを裏付ける武士の精神(心構え)を稽古の中で、日常生活の中でどの程度意識しているでしょうか?

 武士の生活態度、武士の精神(心構え)を研究し、それを現代に生かす工夫などしておられる方はどの程度おられるのでしょうか?

 そういう疑問があり、今回、剣道修行に大切だと思われるキーワード「武士」「武士道」等の起源の検証をおこなってみたわけです。

                              つづく

剣道
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武士道の起源 つづき いよいよ核心へ

仏教は中国では、儒教と対立するなど、迫害の対象となった時期もあったが、日本では天皇家自ら寺を建てるなど国家鎮守の道具となった。仏教は宗派も多く、勢力を増した僧侶が中央の政治に口を挟むこともたびたび起こるが、それに対して天皇は遷都したり、優れた僧侶を招いたり、進んだ仏教(密教)などを中国から導入した。つまり仏教対仏教という図式をとったのである。平安末期には仏教の大衆化現象があり、鎌倉時代には権力が貴族から武士に移行するが臨済宗と曹洞宗という二つの禅宗が武士に好まれ、南北朝、室町時代には臨済宗は幕府に保護されることになる。以後の時代においても仏教が時代から消えることは無く、政治、文化に大きな影響を与え続けることになる。

 日本は中国から様々な思想を学んだ。それらは完成形として扱われ、それらを日本人は必死に学ぶことになった。仏教だけでなく儒教、法家思想なども同様であった。しかし日本人は新しいものを学んでも古いものを消し去らない特性がある。例えば安定した時代には儒教による徳治主義、内乱の時代には法家思想による法治主義を使い分けた。

 北条泰時が鎌倉幕府の基本法で日本最初の武家法として御成敗式目を制定、江戸幕府が武家諸法度を制定するまで改定されながら武家法として機能する。内容はご家人の権利義務、所領相続規定であり、律令法や公家法とは別の独立した規定の制定を目指したが、鎌倉幕府初期の政所や問注所には京都出身の中級貴族がいたため、結局、律令法、公家法、仏教や儒教など様々な思想の影響から逃れることは難しかった。この辺りを注意深く検証していくと、「武士道」誕生の背景が見えてくるのだろう。

                           つづく

剣道
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新渡戸稲造「武士道」要約
 新渡戸稲造「武士道」を私なりに要約し箇条書きにしてみました。

明治321899年アメリカで出版 当初は英語で出版

BUSHIDO THE SOUL OF JAPAN

ドイツ語、フランス語、ロシア語などで訳され世界中で広く読まれた。

1.「武士道」とは「武士」が守るべき道徳の作法、規律である。

2.制度としての始まりは、封建政権が確立し武家政権が始まった時期とする。

3.「武士道」に影響を与えた思想は仏教、神道、儒教であり「知行合一」

 を求めている

4.裏取引、不正行為を忌み嫌う「義」

 危険や死を目前にしても心穏やかで平静を保つ「勇」

「思いやり」「愛」「寛容」「同情」と同義の「仁」

 相手を敬う気持ちを形で表す「礼」

 嘘をつかない、ごまかしをしない「誠」

 武士階級の特権を支える支柱であり、「名」「面目」などと同義の「名誉」

 主君に従いながら、主君が進むべき正しい道を説き聞かせる「忠義」

 などの要素で成り立っている。

5.武士は損得勘定の概念が無く厳格で質素な生活が要求された

6.真の名誉とは天から与えられた使命をまっとうすることである。

 そのために死ぬことは不名誉ではないが、天から与えようとする

 ものから死を持って逃げることは卑怯なことである。

7.教育で重要視されたのが品性の形成

8.刀は武士の魂とされた

9.女性が家庭のためにとる姿勢として、男性が主君に対してとる忠義と同様

 であることを名誉とした。

 まとめ

新渡戸は「武士道」発生を日本の風土、そこで日本人がいかに生きてきたか

などを説明した上で読者に分かり易く文章にしている。

「武士道」を読んだ者に「そうすれば幸せになれる」という押しつけ的

なものでなく、「武士道」を通じて少しでも真理に近づこうという姿勢が

見られ、一般的には「日本人とは何か」あるいは「日本人のモラル」という

ものであって、軍国主義を奨励するような表現はない。

また、女性についての記述は少なく、その内容も誤解され易いようにも

思えるが、新渡戸自身は東京女子大学の創始者であり、女性教育に絶大な

功績があったことを付け加えておかなくてはいけないようです。

                     つづく

剣道
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新渡戸稲造の「武士道」について(はじめに)
 新渡戸稲造の「武士道」について

はじめに

「武士の役割」は、江戸時代(16031867)には、平和を守るための

「官僚」「軍人」にその姿を変えました。

「武士」は座学をし、厳格で質素な生活を送り、武術の修行を怠らず

「武士」としての人間形成を目指しました。

様々な「剣法」が考案され、同時に「心法」「士道」「兵法」「武士道」

といった思想も平行して深められて行きました。

 生と死の関係に関しても、「武士」と「死」は安易に近いと誤解されて

おられる方もいらっしゃいますが、本意は「死を超越していかに生に至るか」

ということであり

「生」が主題であること、これが重要だと考えます。

 ここしばらく、関連の文献や資料を読みあさっていますが、私自身も

「武士」や「武士道」ということに関して認識が変わった面があります。

 

 「武士道」や「武士」という言葉、あるいはその周辺の文言に対して

ことさら拒否反応を示す人達の現れの原因は、日本が軍国主義であった

時期に「武士道」の一部が、国家権力に都合良く使われ、多くの人命が

失われたことに対する反動であろうと考えます。しかし「武士道」の本意

とは平和な時代の体制を維持するための思想であるということ「武士」の

所作はたしかに厳しいものですが、平和な日本に住む私たちが失いつつある

大切なものを含んでいることを再認識しなくてはいけないのかもしれません

 

 新渡戸稲造は、「武士道」を書き、世界の平和を願い、東奔西走しました。

新渡戸の本意は明らかだったと思います。しかし、その願いはかなわず、失意

の晩年を過したようです。

                       つづく

剣道
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武士について(武士の起源)
 武士について考えましょう。
まず武士の起源についてです。
本格的な研究は明治に始まったようですが、10世紀、平安時代中期から後期に発生した
というあたりまでは異論が無いようですが、それ以外は定説として確立されていない
ようですので、有力な学説を2派ご紹介しておきます。
1.「開発領主」武士起源説
 平安時代中期、私営田開発領主が、抵抗する配下の農奴と介入する受領に対抗するために
 「武装した大農園園主」つまり自衛が目的であった説。
2.「職能」武士起源説
 朝廷から公認をされた「下級貴族」「下級官人」「有力家人」で、新式の武芸を身につけ
 官人として「武」に携ることを本分とした武装集団。
「国家から免許を受けた軍事職能家」つまり、貴族に仕え、体制を守るために働くことが
 目的であったという説。
 以上が、「武士の起源」ということです。
 
 上記しました通り、武士の起源は、「自己防衛」であったり「雇い主を守る」
ということですから、私たちがテレビなどでよく見る「国取り合戦」の主人公としての
姿は、時代が進む中、本来の起源から外れて行ったことが分かります。しかし
時代の転換点では、武士は..........を守る。ということを「錦の御旗」として戦いに挑んだことは広く知られているところです。武士にとっては.........を守るの...........が生命線である
と考えます。
                                  つづく
 
剣道
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