新渡戸稲造の「武士道」について
はじめに
「武士の役割」は、江戸時代(1603〜1867)には、平和を守るための
「官僚」「軍人」にその姿を変えました。
「武士」は座学をし、厳格で質素な生活を送り、武術の修行を怠らず
「武士」としての人間形成を目指しました。
様々な「剣法」が考案され、同時に「心法」「士道」「兵法」「武士道」
といった思想も平行して深められて行きました。
生と死の関係に関しても、「武士」と「死」は安易に近いと誤解されて
おられる方もいらっしゃいますが、本意は「死を超越していかに生に至るか」
ということであり
「生」が主題であること、これが重要だと考えます。
ここしばらく、関連の文献や資料を読みあさっていますが、私自身も
「武士」や「武士道」ということに関して認識が変わった面があります。
「武士道」や「武士」という言葉、あるいはその周辺の文言に対して
ことさら拒否反応を示す人達の現れの原因は、日本が軍国主義であった
時期に「武士道」の一部が、国家権力に都合良く使われ、多くの人命が
失われたことに対する反動であろうと考えます。しかし「武士道」の本意
とは平和な時代の体制を維持するための思想であるということ「武士」の
所作はたしかに厳しいものですが、平和な日本に住む私たちが失いつつある
大切なものを含んでいることを再認識しなくてはいけないのかもしれません
新渡戸稲造は、「武士道」を書き、世界の平和を願い、東奔西走しました。
新渡戸の本意は明らかだったと思います。しかし、その願いはかなわず、失意
の晩年を過したようです。
つづく
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