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「武士道」の起源 つづき

 日本の陶磁史における技術開発史は中国製の陶磁器を目標として、ひたすら後を追うものです。しかし実力差は歴然としており、技術的にも理論的にも中国、朝鮮の足元にも及ばない時代がつづきました。しかも、自力ではほとんど何も達成できず、完成品や、それらの製法のみ教えを請う、あるいは技術者を派遣してもらう、ひどい場合は技術者を強奪するというもので、まさに屈辱的なものでした。中国では新しいものが完成したと同時にそれまでの労苦は昇華され、精神的にも技術的にも階段を自力で上がり次の開発に挑んで行ったわけです。

 日本ではそれが、中国と比較するとあまりに希薄なものだったといわざるを得ませんでした。特に今回注目すべきは、発想、試行、達成、成熟、次段階へといった、発想からそれが達成されるまでの精神的な成熟期間の経験の多くの部分を中国に頼っていたことで、この分野での成熟がほとんどされなかったということ、そこから来るコンプレックスや劣等感に長い時間悩まされ続けたという事実です。結果日本では、土器制作の技術とその作風、それに見合った精神的系譜の流れと、施釉陶などの外国輸入の技術とその作風、それに相対した不自立的な精神的な流れの二つが存在することになりました。この現象は陶磁器に関する事例にとどまりません。皆さんもご存知の通り、日本は一つの国として成立しはじめたあたりから、政治形態や、国を作る精神的な部分(例えば宗教とか)も、中国をお手本としてきました。

 さて、話しを元に戻しましょう。「武士道」の思想的な源とその時代背景です。

日本では有史以来、やおよろずの神々を信仰してきましたが、聖徳太子(厩戸皇子)は、隋の国にならい、中央集権的な国づくりのため、強力な精神的柱を必要とし「仏教」を導入し、体質転換を試みました。日本史の一つの転換点ですが。聖徳太子(厩戸皇子)は冠位十二階や十七条憲法などを表しました。冠位十二階で天皇を中心とした中央主権制をめざし、憲法十七条で精神的な指標を示しました。そして仏教精神が日本全土に広まるきっかけを作ります。

                     つづく

    
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