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武士道の起源 つづき いよいよ核心へ

仏教は中国では、儒教と対立するなど、迫害の対象となった時期もあったが、日本では天皇家自ら寺を建てるなど国家鎮守の道具となった。仏教は宗派も多く、勢力を増した僧侶が中央の政治に口を挟むこともたびたび起こるが、それに対して天皇は遷都したり、優れた僧侶を招いたり、進んだ仏教(密教)などを中国から導入した。つまり仏教対仏教という図式をとったのである。平安末期には仏教の大衆化現象があり、鎌倉時代には権力が貴族から武士に移行するが臨済宗と曹洞宗という二つの禅宗が武士に好まれ、南北朝、室町時代には臨済宗は幕府に保護されることになる。以後の時代においても仏教が時代から消えることは無く、政治、文化に大きな影響を与え続けることになる。

 日本は中国から様々な思想を学んだ。それらは完成形として扱われ、それらを日本人は必死に学ぶことになった。仏教だけでなく儒教、法家思想なども同様であった。しかし日本人は新しいものを学んでも古いものを消し去らない特性がある。例えば安定した時代には儒教による徳治主義、内乱の時代には法家思想による法治主義を使い分けた。

 北条泰時が鎌倉幕府の基本法で日本最初の武家法として御成敗式目を制定、江戸幕府が武家諸法度を制定するまで改定されながら武家法として機能する。内容はご家人の権利義務、所領相続規定であり、律令法や公家法とは別の独立した規定の制定を目指したが、鎌倉幕府初期の政所や問注所には京都出身の中級貴族がいたため、結局、律令法、公家法、仏教や儒教など様々な思想の影響から逃れることは難しかった。この辺りを注意深く検証していくと、「武士道」誕生の背景が見えてくるのだろう。

                           つづく

剣道
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