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付則3
 付則3
 私の意見を公開する中で、もともと「武士道」は現代に合わない、「武士道」も現代に合わせて進化させるべき、とのご意見がありますので、この件に関してお答えいたします。

 この件に関してお答えするには、実はなぜ私が、武士道の起源や武士の発生を検証し始めたのかという最初の場面に突き当たります。

 現在「武士道」と言えば、かの高名な「新渡戸稲造」氏の「武士道」でしょうか、文字としては、江戸時代の「甲陽軍艦」に最初に現れます。武士の発生は、平安時代中期から後期。「武士道」にも通ずる武士の倫理は鎌倉時代から江戸時代中期にかけて熟成されていきました。

 物事は何でもそうですが、本流と支流があります。「武士道」も同様です。

「武士道」の本流の根底にあるのは、人間とは何かを問い、厳しい修業の中から日本人の品格を研ぎだすものです。しかし、本流を外れたものも沢山ありました。誤解を招く表現もあり、それらが軍国主義と結びついた時代もありました。明治維新以後の近代において特にその傾向が強く、「武士道」や「武士」の本質の正しい解釈が蔭を潜め、間違った印象が現代まで続いていることは否定できません。

 どのような思想でも、時代に合わせて様々に解釈されて形を変えることは世の習いですが、長い時代の中で、そういったことが繰り返されたことから、間違った別の思想形態に変質したこともしばしばでした。良い場合もありますが、そうでない場合もありました。

 私の個人的な感想ですが「武道」においてもそのような傾向が、許容範囲を超えてしまった印象を受けたのです。

 こういうときには、最初の段階に戻って「その」成り立ちを検証するのが一番です。ご理解いただけたでしょうか。

 「武士道」や「武士の精神」の本流、本質が変化したわけではありません、私たちが遠ざかったのです。「武士道」や「武士の精神」が必要とされている現代に必要なのは、「武士道」や「武士の精神」を現代に合わせて変えることではなく、私達がその本質に近づくことが必要なのです。

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