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剣道を子供達はどこまで理解するのか?
 子供達はどこまで理解しているのだろうか?

 

当方の道場の子供達には

剣道の目的は、大人の剣道、子供の剣道など区別なく、剣道は一つと教えます。

子供も大人も、同じ目標のもと、互いにがんばります。

お相手から逃げず、自分十分の形を作り、打ち出す機会を作って、思い切って自分の技が出たかどうかを一つの基準にしています。

 

試合場での品格。これも大事

思いやりのある態度、勝っても負けても、すぐに反省する態度

これを養います。

よい勝ち 悪い勝ち

よい負け 悪い負け

これを徹底して指導します。

試合で勝っても内容が悪ければかなり厳しくしかります。

逆に試合で負けても、よいところがあれば、積極的に評価し褒めます。

保護者の方々にも協力を求めます。

(指導者がほめても保護者がしかるときがあるので…)

 

子供がなにをどこまで理解するのか?

それも問題ですが、実はそれは本質的な問題ではありません

こちらの努力に結果が結びついてこなくても

 

指導者がぶれては行けないのです。そのぶれが

それが子供達の迷いを誘います。保護者の不安を招くのです。

 

私たち子供を指導する者には、さらに厳しい心がけが必要です。

子供達の稽古量を凌駕することは当然。

普段からの素行も子供達の規範とならなくてはなりません。

子供達は言葉の理解は不十分でも、目から見た感覚的な理解、成長は大人の比ではないのです。

剣道
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物事に動じない不動の精神とは2
 物事に動じない不動の精神力

 

 打たれるのは覚悟の上ですが、上段からの小手は片手です。竹刀が止まらず、打ち抜かれることが多いので、皆さんもご経験あると思いますが、ごっつい痛いのです。通常の合同稽古であれば上段の方もおれますので、事前にそそくさとサポーターをするのですが、今回は木刀による基本稽古中心と聞いていましたので、準備をしておりませんでした。仕方ありません。やります。

 とにかく打たれても、心乱さず、構えを崩さず、平然心おだやかにして、少ない機会の中で、自分を作り、自分十分の一本を出し切ることです。それを心がけて「いや〜〜」です。

 当方一歩も引かない覚悟で、じりじり出ます。お相手、面、小手と休まず、機関銃のように打って出ます。当方我慢我慢でお相手の息継ぎの瞬間を狙います。5分程度のお稽古でしたが、お相手の打突は数えきれないほどいただきましたが、こちらも諸手の突きを1本、スリアゲ面を1本いただきました。なにより下がらない姿勢を通しましたので、お相手が自分の間合いを取るのに、ご苦労され、自ら引き面などで下がり、間を作る様子がうかがえました。

 稽古の後、師範から、打たれ過ぎです。しかし悪い剣道ではないでしょう。お稽古に励んでください。という講評をいただきました。見学していた道場の子供達からも、こちらに向かって笑顔が見えましたので、まずまずと思いました。しかし、右手は手の甲から二の腕、肩にかけてミミズ腫れになってしまいました。まあ、よく打たれたものです。当方はお世辞にも器用とはいえない剣風ですので、道場での稽古だけでは皆さんと同じ土俵に立つことは難しいと、いつも感じております。普段の生活から、ぶれない心、物事に動じない精神力を培うためにこころがけなくてはいけません。

 

 

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物事に動じない不動の精神力とは
 

物事に動じない不動の精神力とは

突然ですが昨日の合同稽古のことです。
 例の木刀による基本稽古が中心の講習会です。当方所属の地区では10月からの昇級審査から実施するという方針のもと、子供、大人合同の講習会がありました。私はと申しますと、3ヶ月前に大人の道場でDVDを渡され、1ヶ月を目処に子供に教えられるレベルにしておくように、というお達しが出ておりましたので、手順程度はなんとかなったのですが、地域の子供たちにとっては大変です。子供の道場でも基本稽古の代わりに、木刀による基本稽古をやってはどうかという意見が出され、その方針でしばらくやるようです。いろいろご意見があるのは仕方がないのですが、9本目の「胴撃ち落とし面」はこれまで正式な「胴の防御法」がなかっただけに、一つの指標になるものと考えています。

 お年の先生の中には、お前に任せた、「よきにはからえ」的な発言もあり、困っております。防具をつけてまだ3年の「ど素人」に「それはないですよ先生!」
という感じですが、最初から覚える気のほとんどない先生方もいらっしゃいまして….う〜ん。
ああ、また仕事が一つ増える………。
 
 話はかわってその後の防具をつけての合同稽古です。
ざっと見渡しますと、いろいろおられます。一度お稽古お願いしてみたかったS8段先生のところに行こうとしますと、先生お稽古お願いします。と
30代の現役選手。あちゃ〜です。そこで
「あの〜当方は素人でして…..うんぬん….かんぬん…..」と自己紹介….
出稽古、合同稽古では恒例なのですが、いつもの通り元立ちをお断りするとから始まります。
 当方とっくに50歳を超えておりますので見かけだけ高段者ににて、全く誤解を招きやすい立場で、すいませんなのですが、とりあえず始まりました。
 お相手さっと上段に構えました。
「おっ!」きた!上段!
……….あっ!小手サポーターを忘れています。
「しまった!」
                 つづく

剣道
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付則3
 付則3
 私の意見を公開する中で、もともと「武士道」は現代に合わない、「武士道」も現代に合わせて進化させるべき、とのご意見がありますので、この件に関してお答えいたします。

 この件に関してお答えするには、実はなぜ私が、武士道の起源や武士の発生を検証し始めたのかという最初の場面に突き当たります。

 現在「武士道」と言えば、かの高名な「新渡戸稲造」氏の「武士道」でしょうか、文字としては、江戸時代の「甲陽軍艦」に最初に現れます。武士の発生は、平安時代中期から後期。「武士道」にも通ずる武士の倫理は鎌倉時代から江戸時代中期にかけて熟成されていきました。

 物事は何でもそうですが、本流と支流があります。「武士道」も同様です。

「武士道」の本流の根底にあるのは、人間とは何かを問い、厳しい修業の中から日本人の品格を研ぎだすものです。しかし、本流を外れたものも沢山ありました。誤解を招く表現もあり、それらが軍国主義と結びついた時代もありました。明治維新以後の近代において特にその傾向が強く、「武士道」や「武士」の本質の正しい解釈が蔭を潜め、間違った印象が現代まで続いていることは否定できません。

 どのような思想でも、時代に合わせて様々に解釈されて形を変えることは世の習いですが、長い時代の中で、そういったことが繰り返されたことから、間違った別の思想形態に変質したこともしばしばでした。良い場合もありますが、そうでない場合もありました。

 私の個人的な感想ですが「武道」においてもそのような傾向が、許容範囲を超えてしまった印象を受けたのです。

 こういうときには、最初の段階に戻って「その」成り立ちを検証するのが一番です。ご理解いただけたでしょうか。

 「武士道」や「武士の精神」の本流、本質が変化したわけではありません、私たちが遠ざかったのです。「武士道」や「武士の精神」が必要とされている現代に必要なのは、「武士道」や「武士の精神」を現代に合わせて変えることではなく、私達がその本質に近づくことが必要なのです。

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付則2  武士道に思う
 付則2

 武士道の精神は、私達の生活の中に予想以上に浸透していることを認識することも必要かもしれません。武士道は、仏教、神道、儒教などの思想を思想的背景として形作られました。それは、日本人の長所をほめるものではなく、日本人の弱い部分を対象にしたものです。その破綻を防ぐため、あるいはその弱い部分を逆手にとり、一つの作法として、世界的にも稀な作法として美しく体系化、思想化したものです。内面的には実質破綻しても外面を作法で繕うことにより、最後の一線を超えることを防ぎその影響を個人の中にとどめる効果を持っています。また、それらの所作が当所中身をともなっていなくても、それらを繰り返すうちに、徐々に中身も形成される効果もあります。

 私達日本人には、この礼儀作法のあり方は、とても共感しやすいものです。

武士道とは、その響きの「いかつい」響きから、現在の私達の生活とかけ離れたもののように思われておられる方が多いと思いますが、実際はその思想の流れに支えられて、日本人らしく生活していると思います。あるいは、どこかで求めているという言い方が適当かもしれません

 私達の生活は欧米化してきましたが、その精神の神髄に、共感は及ぶのは難しいと思います。それは、欧米人と東洋人の自然観が異なるからです。この点に関してはいずれ紙面を割きますが、お互い異なった文化を持つ民族として尊重し合うことは十分出来ると思いますが、日本人は完全に欧米化は出来ないと思います。

 ここまで申し上げたら、これ以上は申し上げることは無いと思います。

 学校教育で武道が導入されます。先生方どうかご協力お願いいたします。

剣道
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剣道のこと 付則
 ここからは付則となります。

 これまでの作業の中で、感じたことをつれづれなるままに書き下ろしたいと思います。

 高段者の方で子供とのお稽古を好まれない方がいらっしゃいます。たいへん悲しいことと考えます。剣道の質の差、体格差など、理由は様々ですが、これは間違いと言えるでしょう。

 私達は心と心で向き合うところから稽古をすると考えます。すべての人の心の中に、仏の心が宿っているという道元禅師のおっしゃる通り、すべての人と、心と心を感じ合う稽古を目指すのであって、むしろ純粋無垢な心を持った子供との稽古は、学ぶものは多いのではないかと考えます。また、子供たちを正しい道に導くのは、先立ちである大人であって、剣道においてはまさしく高段者の方々ではないのでしょうか。もし子供との稽古を重視したことで腕が落ちたという方がいらっしゃるなら、剣道に対する考え方、稽古の仕方が間違っていたと考えるべきだと考えます。

 また剣道の質の違いを言われる方々もいらっしゃいますが、大人も子供も本質的には同じものを学ぶべきと考えます。子供と大人、段の若い者と高段者が違った剣道を学ぶことは、人により場所により剣道に対する解釈の「ずれ」を招くと考えます。

                           つづく

剣道
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剣道の目的、剣道とはなにか まとめ
 まとめをいたします。

 約半年をかけて、剣道の目的、現代社会における剣道のあり方を考えて参りました。それは、とりもなおさず、武士とは何かを考察するところから始まりました。武士成立の時代背景、社会背景を分析することから始まり、とりわけ中国との関係を中心にして紐解き、武士の成り立ち、武士とは何かを解明し、武士の時代における理想の武士像を明確化しました。その点に関しては過去の記事をご覧ください。

 そして、いよいよ現代に生きる私たちが、理想の武士から、理想の武士の生活から、何を学び、どう生かしていけばよいのかまとめたいと思います。これまでの考察を基にして、箇条書きにまとめたいと思います。

1. 剣道は人類の繁栄、社会平和を実現するため、何をすべきかが目的となるものであり、短絡的な自己の欲求を満たすために行うものではない。よって、試合に勝つことや昇級昇段することが剣道をする上で独立した目的とはなり得ない。

2. 剣道の修行に終わりはない。ある一定の修行レベルに達したとしても修行は終わるのではなく、無限の修行を続けなくてはならない。

3. 生活すべてが修行となる。ただひたすら心を正しくおだやかに持ち、正直一途に暮らし、上なる人を敬い下なる者を燐み、つつみかくしなく、有るを有るとし、無きを無いとして、ありのままの心持ちで生活することが天意にも仏意にもかなうものである。ひたすら文武の修行に励み、質素倹約につとめなくてはならない。

4. 上下の関係とは盲目的なものではない。上のものがあやまちを犯すときには覚悟を持ってそれをいさめなくてはいけない。

 以上です。

 現実の自分がどうであれ、これらを目的として生きること、剣道をすることは悪いことではないでしょう。あきらめてしまってはそこでおしまいです。とりあえず私はがんばります。みなさんがんばりませんか。なお次回はこれまでの研究から付則的なことを述べてみたいと思います。

                     つづく

剣道
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剣道の目的とは、武士道とは、今一度考えてみて下さい。
  剣道の目的とは、武士道とは 今一度考えて下さい。 

全日本剣道連盟は剣道の理念を

「剣道とは、剣の理法の修練による人間形成の道である」

ホームページでは、剣道は、剣道を通して心身を鍛錬し人間形成を目指す武道です。剣道を学ぶということは剣の理法を学ぶことであり、剣の理法の奥にある武士の精神を学ぶことが重要です。としています。

 全日本剣道連盟は、剣道の普及について、次のように言っています。

剣道の普及とは単に剣道人口を増加させたり、試合を多く開催することではありません。正しい普及とは日常の稽古や試合という競技の剣道を通じて、武士の精神を多くの人々に伝えることです。そして、剣道の厳しい稽古を通して、剣の技を学ぶだけでなく、武士の生活態度やそれを裏付ける武士の精神(心構え)も学んで頂きたいと記しています。

 考えて下さい。

 私達剣道指導に関係する者が心がけなくてはいけないことが明記されています。

人には個性があり、結果剣道のスタイルも様々だと考えますが、上記した内容は、剣道に対する考え方の基礎、基本というものであって、よけいな付則、解釈の入る余地はないと考えます。

 私たちは稽古をするにあたり、また日常の生活の中で、どの程度このことを意識できているのでしょうか?

 初心者が上記の件について、良くわからない。ピンと来ない、そんなこといっても試合に勝ったら嬉しいし、負けたら悔しさだけが残るし、剣道の稽古が終わったら全部忘れて遊びたい。というのも理解できます。また理解してあげなくてはいけないし、じっくりと指導、育成していくことが大切です。

 しかし指導者はどうでしょう

 剣の技を学ぶだけでなく、武士の生活態度やそれを裏付ける武士の精神(心構え)を稽古の中で、日常生活の中でどの程度意識しているでしょうか?

 武士の生活態度、武士の精神(心構え)を研究し、それを現代に生かす工夫などしておられる方はどの程度おられるのでしょうか?

 そういう疑問があり、今回、剣道修行に大切だと思われるキーワード「武士」「武士道」等の起源の検証をおこなってみたわけです。

                              つづく

剣道
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武士道の起源 つづく いよいよ終わりが近い
 武士道の根底に流れる潮流はなにか
そして私たちは武道をする上で精神的な柱をどう作れば良いのか考えてみましょう。

1.   武士とは武士単独で成立するものではなかった。国家体勢を守るための軍事を担当した国家公認の「家」の者が武士の起源であったことから、天皇を守る、国を守る、領土を守る、領民を守る、というように、時代によって変化はしたものの「何かを守る存在」であることが本流であった。故にその「何か」が存在して始めて存在意義が発生したものであり、自己中心的な性格のものではなかった。

2.   武士道は、仏教、儒教、神道などを融合させながら、日本人の性格、気質に十二分に適応させながら、練り上げられていった、日本人独自の思想であった。

3.   武士道の性格はむしろ戒律に近いもので、武士の良いところを褒めるものではなく、武士が、その人間性の弱さから、破綻した行動をとることを戒める性格が強かった。

4.   日本人の持つ独特の世界観、は中国との江戸時代あたりまでの関係の影響が大きい。政治、産業、科学、思想など、あらゆる面で中国の後を追う立場であった日本は中国を手本としてきたが、反面、コンプレックスをくすぶらせ続けてきたことは否めない。 特に焼き物の世界においては土器の技法と施釉陶の技法とその作風の二つが残り、この世界を非常に分かりにくいものにしてしまったが、そのような中から「わび」「さび」「見立て」など複雑で深遠な世界観を形成したことは日本人の繊細でまじめな性格を表しており、「武士道」はそのような日本人の心を持った「武士」にうまく適合した思想となっている。

                       つづく

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武士道の起源 つづき いよいよ核心へ

仏教は中国では、儒教と対立するなど、迫害の対象となった時期もあったが、日本では天皇家自ら寺を建てるなど国家鎮守の道具となった。仏教は宗派も多く、勢力を増した僧侶が中央の政治に口を挟むこともたびたび起こるが、それに対して天皇は遷都したり、優れた僧侶を招いたり、進んだ仏教(密教)などを中国から導入した。つまり仏教対仏教という図式をとったのである。平安末期には仏教の大衆化現象があり、鎌倉時代には権力が貴族から武士に移行するが臨済宗と曹洞宗という二つの禅宗が武士に好まれ、南北朝、室町時代には臨済宗は幕府に保護されることになる。以後の時代においても仏教が時代から消えることは無く、政治、文化に大きな影響を与え続けることになる。

 日本は中国から様々な思想を学んだ。それらは完成形として扱われ、それらを日本人は必死に学ぶことになった。仏教だけでなく儒教、法家思想なども同様であった。しかし日本人は新しいものを学んでも古いものを消し去らない特性がある。例えば安定した時代には儒教による徳治主義、内乱の時代には法家思想による法治主義を使い分けた。

 北条泰時が鎌倉幕府の基本法で日本最初の武家法として御成敗式目を制定、江戸幕府が武家諸法度を制定するまで改定されながら武家法として機能する。内容はご家人の権利義務、所領相続規定であり、律令法や公家法とは別の独立した規定の制定を目指したが、鎌倉幕府初期の政所や問注所には京都出身の中級貴族がいたため、結局、律令法、公家法、仏教や儒教など様々な思想の影響から逃れることは難しかった。この辺りを注意深く検証していくと、「武士道」誕生の背景が見えてくるのだろう。

                           つづく

剣道
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